2017年12月26日火曜日

派遣留学生・福田涼さんインタビュー!(後編・留学中「ここで生きていける」と思った瞬間)

前回に引き続き、2016年度派遣留学生(派遣先:メキシコ・グアダラハラ大学)、福田涼さんにインタビュー!今回は、福田さんの語学学習方法や就職活動について、留学を経て大切だと思ったことなどをお伺いしました。

まだの方は、ぜひ前半からお読みください。

Q 語学力はどれくらい身に付きましたか?

留学前に逐次通訳できるといわれているレベルの資格(DELE B2※)を取っていて、授業を聞くことには問題がなかったのですが、最初はディスカッションに入る余地がありませんでした。周りはみんなネイティブなので、考えずにベラベラしゃべるのが当たりまえ。議論を止めて、白けた所で発言するしかない、みたいな(笑)。

専門的な話をする時には用語に苦労しました。日本語でもわからない単語が出てきたりして。意図せずに入ったグラフィックデザインの授業では、まず紙の名前が分からず、15種類くらいある紙の名前を覚えることから始めました。また、同じスペイン語でもスペインとメキシコでは使っている語彙が違うので、たまに伝わらずに困りました。例えば、「バス」はスペインでは「アウトブス(autobús)」なのにメキシコでは「カミオン(camión)
」。でもスペインで「カミオンで来た」と言ったら、「トラックで来た」ということになってしまいます。通じないし、笑われることもありましたね。「お前、どこでスペイン語覚えてきたんだよ」って。

でも今はスペイン語で考える実力がついて、特に専門性の高いことでなく基本的なことであれば、もう何でも話せます。帰国後、「
メキシコ訛りが強くなったね」と言われます。「結構メキシコっぽいね」と。メキシコのスペイン語は標準的な発音をするといわれているので、「訛り」だとは自分では思っていないのですけど・・・、でも、嬉しいですね。

(※)DELE:日本では、セルバンテス文化センターが
実施している
   スペイン語検定試験。

          レベルは、A1(入門)、A2(初級)、B1(中級)、
   B2(中上級)、C1(上級)、C2(最上級)の6段階がある。

Q 高いスペイン語運用能力を身につけられた、福田さん。

そこに至るまでの、学部での語学の勉強はどうされていましたか?

学部では、語学の授業が週に3・4回ありましたが、元々語学を学ぶために勉強するのが好きではないので、嫌いな文法などはささっと終わらせてしまって、あとは楽しみながら身につけたいと思っていました。スペイン語圏のイベントに出かけてネイティブの友達を作って話すとか、映画やドラマを観て、耳を鍛えるとか。
読書も好きなので、今も一冊持ち歩いていますが、スペイン語の本を読むのもそうです。語学は勉強するものではなく、コミュニケーションのツールだと思います。勉強だと思うと面倒くさいし、やる気も出ないけれど、こんな風に日常生活の中に取り入れるとどんどん楽しめます。

Q メキシコで就職の予定だそうですが ?

実は、物心がついた頃から海外で就職することが夢でした。派遣留学するからにはそこで就職するということを大きな目標として掲げていました。
とても幸運なことに、今のメキシコは、ちょうど日本の企業が進出を始めたところです。アジアにはすでに進出していますが、今、まさに進出し始めているのは貴重だなと思って。先日、ブラジルに進出した日本の飲料メーカーが撤退したというニュースがありました。現地の信頼を勝ち取り、そこに定着するのは難しいことです。2020年にはこの進出ブームが終わっていると言われているので、まさにこの時期に、そこで働けるというのはめったにないチャンスだと思っています。

Q どのようなお仕事ですか?

ロボット関連の日系企業の現地法人です。半分、日本語・英語・スペイン語の通訳と翻訳を行いつつ、技術的な業務内容もあります。まさに国際文化学部の情報文化コースで4年間学んだ内容がそのまま生きてくる就職先だなと思います。

Q 向こうでの就職活動はどういったものでしたか?

書類と1~2回の面接だけで決まります。日本では3次・4次面接が当たり前ですが、それに比べると短期決戦です。内定というシステムがなく、決まったらすぐに仕事が始まります。日本での中途採用のようなイメージですね。

Q メキシコへ「戻りたい」ですか?

日本は物価が高いので、生活できない。帰国してからは、アルバイトをしていないので親に頼らないと(笑)。留学中、最後の2か月はずっと日本に帰りたいと思っていました。日本食がすごく恋しくなっちゃって。

メキシコで出会った日本食(マグロが乗った海苔巻き)
向こうにも「日本食」はあるのですが、やはり何か違います。ラーメンのスープがとても美味しいのに、麺が恐ろしく不味くて、仕方なくスープだけで我慢したり、海苔巻きにマグロが乗っていて、醤油の代わりにゴマ油の入ったソースだったり。何にでも、アボカドやチリが入っています。風邪をひいたときにはお腹にやさしいうどんを食べたい。チリじゃないんだよって(笑)。
でも、日本に帰ってからは、またすぐにメキシコに戻りたくなりました。これからメキシコが主軸となって、年に一回くらい帰国して日本食を食べて、友達や家族に会えればいいかなと思っています。

Q 福田さんにとって「あそこがあったから、今の自分がいる」という場面や場所は?

一つ目は、派遣留学で空港を出る時、飛行機に乗った瞬間。それまでも何度も飛行機には乗ったことがありますが、これから10か月間日本を離れなきゃいけないという気持ち。期待もあり、不安もあり、席に着いたとき、それを強く感じましたね。


二つ目は、場面とか場所ではないのですが、現地での友人です。なんでも相談できて、信頼できる特別な友人が出来た時。留学に行けば自然と友達はできると思いますが、不特定多数でなく、難しい話や色んな話ができる親友が出来た瞬間、「ここで生きていける」と思えました。この写真の二人ですが、キャンパスが変わって、一旦離れてから2・3か月ぶりの再会の時のものです。

Q 留学を経て大切だと思ったことは何ですか?

色々と経験している人が皆、言っていることだと思いますが、結局、最後は自分 。メキシコは他の先進国などに比べると貧しく、大変な国です。それでも僕としてはメキシコでしかできない経験が出来たと考えています。苦しくても、色々ハプニングがあっても乗り越えられたのは、留学を申し込んだ時に決めていた目標や思いを忘れないで過ごしてきたからだと思います。これから留学に行く方々へ向けてのメッセージとしては、なんとなくではなく、明確な目標を4か月なり、1年なり持ち続けて、最後まで頑張って欲しいなと思います。

2017年12月22日金曜日

派遣留学生・福田涼さんインタビュー!(前編・ハプニングから始まったメキシコ留学生活)

今回は、2016年度より派遣留学先に加わったメキシコ・グアダラハラ大学への第1期派遣生、福田涼さんにインタビューを実施しました。その様子を、2回にわたってお届けいたします。この記事を読んでいる方の中には、留学に行きたいと思っている方も多いと思います。国際文化学部の多くの学生が参加するSAプログラムは良く知られていると思いますが、それ以外の留学プログラムも充実していますので、インタビューを通じてその違い等もお伝えできればと思います。


 【福田涼さん プロフィール】
2013年4月、法政大学国際文化学部入学。
2年次、国際文化学部SAプログラム(※1)でスペイン・バルセロナ大学へ留学(2014年9月~2015年1月)。4年次、派遣留学生(※2)としてメキシコ・グアダラハラ大学へ留学(2016年8月~2017年5月)。
2017年9月、同学部を卒業し、社会人生活のスタートを切る。
在学時選択していたのは、情報文化コース。ゼミの担当教員は、和泉順子先生(2017年度同ゼミのサブタイトルは「情報科学技術の問題の発見と考察」)。

(補足)SAプログラムと派遣留学の違い
(※1)国際文化学部
SAプログラム
(※2)派遣留学
参加対象者国際文化学部所属の2年生
※指定入試で入学の外国人留学生は、SJ(スタディ・ジャパン)参加。SSI参加者は選択制。
全学部の3・4年生
※希望者/選考は参加前年度に実施
期間約3か月~5カ月
※ただし夏期プログラムは約1か月
原則1年間
参考
Webページ
法政大学国際文化学部
Webサイト:
SA留学
法政大学グローバル教育センターWebサイト:
派遣留学制度(協定校留学) 
※表中の情報は、2017年度時点のものです。



Q 派遣留学に参加される前、ゼミではどのような勉強をされていましたか? 

僕が所属する和泉ゼミの根幹となるテーマは、「情報社会における問題点の追求」です。僕自身は、「インターネットを介して文化のやり取りをしたときに、どのように伝わるのか」ということを研究していました。

例えば、日本文化を発信したいと思っても、距離や言語の問題で正しく伝わらないことが多々あります。具体的には、メキシコで「コンコミックス」という「日本の」漫画やアニメのイベントがあっても、そこで売られていた「デスノート」の説明が中国語だったり、ずいぶん古いものが日本の最先端のものとして売り場に置いてあったり。「日本の」マーケットで売られていうポッキーにタイ語が書かれていたり、「東京」と書かれたTシャツも人気ですが、文字が中国風だったり。

逆に僕らも「メキシコの文化」と聞いたときに、サボテン・テキーラ・麻薬を思い浮かべますが、当たり前ですけど、実際に行ってみるとそれだけじゃない。

Q 例えば、どのようなものがあるでしょうか。

まず、メキシコには意外と日本の生活と関連のあるものがある。さけるタイプのチーズは、メキシコのチーズ(スペイン語では、queso oaxacaもしくはqueso oaxaqueño)を真似て作られたものですし、チワワもメキシコのチワワ州が原産だと言われている。世界に流通しているアボカドのほとんどがメキシコ産ですし。
日本と似ている文化もあって。コンチャというパンは、味も形もメロンパンに似ています。あとは、バレロというけん玉が、メキシコにもあります。剣しかなくって、横に載せられないので、ちょっと難しい。面白いですよね。

Q 日本に帰って来てカルチャーショックはありましたか?

満員電車がやばいです。あと、電車が
23分遅れただけでアナウンスが入ったりするのが、今となってはとても奇妙に感じられます。メキシコでは30分遅れることも普通にあるので。

基本的な交通手段はバスですが、まずバス停がどこにあるのかよくわからない。見つけ方としては、道路に5人くらい並んでいたら、そこがバス停。でも運転手の気まぐれで、乗りたい人がいても停まってくれないことが多いです。そのバスが10分に1本だったら良いんですけれど、30分に1本の時には、あと30分待つことになります。

ある日、初回の授業の時にバスが来なくて、20分遅れたことがありますが、先生も時間通りには着かないので、結果的にはセーフでした。また、急に工事が入るとアナウンスなしでバスのルートが変わってしまい、一度、目的地の半分くらいまで行ったところで、いきなり知らない場所で降ろされたことがあります。そこから2時間遅刻して約束の場所にたどりついたのですが、会う予定だった友人も遅れて来たりして、2時間だったら、「まあちょっと遅いかな」くらいの感じです。
時間にピッタリ来る人は少なく、むしろ遅れるのが当たり前。日本では少し電車が遅れただけで時計を見てイライラし始める人がいますが、きっとストレスが溜まっているんだろうなと思います。メキシコでは怒っていたらきりがないので、だいぶ寛容になりました。

Q なぜスペイン語圏のSAに行かれたのですか?

僕はもともと英語が好きで、他の言語もマスターしたいと思っていました。入学当初、SA先は英語圏を希望し、第二外国語としてスペイン語を履修するクラスに入っていたのですが、オリエンテーションで第二外国語はマスターできないと聞き、SA先をスペインに変更しました。スペイン語は英語や中国語・韓国語などと較べ、売っている教材も少なくて、学べる機会も少ないので、英語は独学で頑張って、スペイン語は授業やSAでしっかり学びたいと考えました。「それだと、どちらの言語も中途半端になってしまうかもしれない」というクラスメートもいましたが、僕は負けず嫌いなので、逆にやってやろうという気になりました。

Q 派遣留学に応募したきっかけとメキシコにされた理由は?
1年生の時、たまたま先輩から派遣留学のことを聞き、何か他の人と違うことがやりたいと思っていたので興味を持ちました。SAが終わった段階では、スペイン語圏の派遣留学先はスペインのビック大学しかありませんでした。マレーシアなど、英語圏の派遣先も視野に入れて準備を進めていましたが、応募締切りの直前にメキシコのグアダラハラ大学が追加されて、これはもうそこに行くしかないと思いました。というのも、高校の時にメキシコの本を読み、以来、ラテンアメリカに関心があったからです。植民地時代の負の遺産であるスペイン語という言語を現地の人たちは一体どのような気持ちで話しているのか、といったことに興味がありました。簡単な問題ではないのですが・・・、現地のナワトル語と合わさってできたスペイン語が話されていますね。

Q SAと派遣留学の違いは?
同じところが見つからない位、違います。期間は単純に2倍ですが、体感する辛さが全然違いました。
SAは授業のレベルが語学学校で、周りの学生もノンネイティブです。派遣の時は、周りの留学生も全てスペイン語圏から来ていたので、自動的にネイティブ・スピーカーと張り合わなければならない環境でした。

Q 派遣留学はどのようなものでしたか?
とんでもないハプニングもあって、1期生らしい留学でした。 

僕はマルチメディア工学部でプログラミングやウェブデザインを学ぶ予定でしたが、何と、派遣先から送られてきた入学許可証のキャンパス名が間違っていて、ホームステイ先近くのキャンパスから本来行くべきキャンパスまでは車で5時間。間違えて多摩キャンパスに行ってしまった学生とは、レベルが違います(笑)。でもそこの教授に相談すると、あっさり、「だったら、ここで勉強すれば?」と言われ、最初の半年は、手で描くところからグラフィックデザインを学ぶことになりました。こういうことが特に手続きもなくまかり通ってしまいます。確認したら、グアダラハラ大学のHPでもキャンパスが間違っていましたね・・・。日本だったら訴訟問題かもしれません。でもメキシコではこれぐらいのことに怒っていたらキリがない ()。グアダラハラ大学には学部が少なくとも50はあり、キャンパスもあちこちにあるので、まあ間違いがあっても仕方がない、と。


福田さんが授業でデザインされたTシャツ
不本意でしたが、結果的にデザインを基本的なところから学べたし、良い経験でした。留学の後半では、本来のキャンパスでマルチメディアの勉強ができました。国際文化学部で情報文化を学び、コンピューターは文系と理系の間という感じでとらえていたので、特にマルチメディア工学が理系だという意識はありませんでした。

2017年11月10日金曜日

もっと知りたいSA!留学先の時間割を公開します~後編~

前回の記事に引き続き、2018年度学部パンフレット「SA体験記」を執筆してくださった皆さんに、SA先での時間割をご紹介いただきます。

今回、時間割とコメントをご提供くださったのは、SAロシア・ペテルブルク国立交通工科大学参加者の杉江さん、SA中国・上海外国語大学参加者の澤田さん、SAスペイン・バルセロナ大学参加者の土方さん、SA韓国・韓国外国語大学参加者の堀田さんです。


SAロシア:ペテルブルク国立交通工科大学 

(月~金曜日。土日は授業なし)

曜日ごとに、扱う内容が決まっているのではないのですね。
学習は、どのように進んでいったのでしょうか。
文法や長文読解の問題が掲載されている教科書を使って、毎日違う内容に取り組みました。SA後半は、ロシア語検定ТРКИ(テ・エル・カ・イ、※1)の対策が中心的な内容となりました。

(※1)ロシア連邦教育科学省が認定する国家能力試験。

授業では、リスニングやライティングの練習もできましたか。
リスニングについては、先生が用意してくださった教材に取り組みました。
ライティングは、ТРКИ対策の一環として取り組んだことが主な内容でした。
先生が添削もしてくださいました。

留学前に法政大学で受けられたロシア語の授業と比べて、 違いなどは感じましたか。
SA先での授業は、より生活に即した実践的な内容だと感じました。
例えば、病院で使うロシア語をテーマにした授業では、定型文や新出単語の紹介があるのみでなく、受講生でペアになってロールプレイを行ったりもしました。 


SA中国:上海外国語大学

「精読」の時間には、長い文章を読んだのですか。
まとまった文章を読むために必要な事項を学んでいくような授業でした。
具体的には、テキストに出てくる単語の使い方を学んだり、テキストを音読したりしました。

「会話」の授業は、どのような内容でしたか。
テキストを使いながら、自身の出身国と中国との違いについて書いた作文を発表したり、受講生の間で互いの文化について質問しあったりしました。テーマとしては、交通や旅行等がありました。
法政大学の「会話」の授業では、先生と学生とで会話する活動が中心でしたが、SA先では学生同士で会話をすることが多かったです。

HSK(※2)5級対策の授業とは、どのようなものだったのでしょうか。
全留学生対象として開講されていたのではなく、 国際文化学部生だけが受けられる授業でした。 今回一緒に留学したメンバーは、既にHSK4級を取得している学生が多かったので、 5級の対策をすることになりました。 過去の試験問題を解いて解説を聞いたり、 中国語の文章を分析的に読む方法を教えていただいたりしました。

(※2)中国政府認定の中国語検定。


SAスペイン:バルセロナ大学
月曜日から木曜日の週4日学校に通います。
午前中は、他の国の留学生と一緒にレベル別にスペイン語を学び、
午後は、スペインの文化の授業をいくつかある内から選択して受けます。

「シチュエーションに応じた話し方」と、「スペイン語会話」はどのように違うのですか。
「シチュエーションに応じた話し方」の授業では、主にカタルーニャ独特の言い回しや文化を学びます。一方で「スペイン語会話」では習ったらすぐに使えるような日常生活における表現を学びます。


SA韓国:韓国外国語大学

文法の授業のコマ数が多いですね! どのような内容だったのでしょうか。
50分の授業のうち 前半25分で新しい項目を学び、
後半25分で習った項目を使いながら会話の練習をしました。

「読み」の授業では、どのようなものを読まれましたか。
教科書に沿って、新出語句の意味を調べたりしながら読解に取り組みました。
教材のテーマには、環境問題や韓国の文化等がありました。



複数のSA先で語学試験対策について言及されていました。外国語運用能力の「伸び」を客観的に確認するために、試験を受けてみるのも良いかもしれません。

さて、全2回の「SA先時間割紹介」はいかがでしたでしょうか?
留学生活をイメージするのに、お役立ていただければ幸いです。

2017年11月6日月曜日

国際文化学部で学ぶ「情報」

はじめに


国際文化学部には情報文化コース・表象文化コース・言語文化コース・国際社会コースの四つのコースがあります。その中でも「情報」と聞いてみなさんは何を思い浮かべますか?ネットワーク、専門用語、どこか難しそうで興味が持てない…という方もいらっしゃるのではないでしょうか?実はこの記事を書いている私もその一人でした。しかし実際に国際文化学部に入学し学んでいく中で、情報というキーワード一つでも様々なアプローチがあり、奥の深い分野であることに気づくことができました。今回はそのような情報を取り扱う授業について、何を学ぶことができるのかご紹介いたします。


なぜ国際文化学部で情報を学ぶのか?


そもそも国際文化という学部の名前でなぜ情報を扱うの?という疑問が挙がるかもしれません。
本学部では情報をコンピュータ・ITといった考え方よりもより広い「文化情報」として捉え、研究を行います。この文化情報という言葉とは、受信、発信、編集、分析、蓄積、流通など、知的な行為にかかわる物全てを指します。※1それは情報…コンピュータにとどまらず、芸術や言語など、学部全体の研究内容に関わってきます。冊子『異文化 18』には文化情報という言葉に関して「身体表現を研究するとか、映像を制作するとか、文学にこだわるとか、この手のすべての研究、あるいは創作活動とは文化情報なんです。」※2と説明があります。
本学部設立の計画をたてている際には「国際文化情報学部」という名前をつけようとしていたそうです。このことからも情報に関することが学部全体にまたがるテーマの一つであることがうかがえますね。

上の写真は国際文化学部が発行している冊子『異文化 18』
※1、2…「対談-文化情報学とは何か、何であるべきか?」P44-86、『異文化 18』法政大学国際文化学部、2017年


国際文化学部でできる「情報」のこと


①国家試験に繋がる勉強ができる


情報という分野において、コンピュータの存在はやはり大きいものとなっているため、情報文化コースの中にはその基礎を学ぶ授業が設けられています。一年次には全学部生必修の授業もあり、ネットワークの仕組みなど基本的なことから順に学び、理解を深めていくことができます。二年次以降にもコンピュータに関する様々な授業が選択でき、プログラミングを学ぶこともできます!
章タイトルにある国家試験について、情報文化コースにはITパスポート試験、基本情報技術者試験の試験範囲と重なる分野を学ぶ授業が複数あります。これらの試験は、前者はどんな業種・職種の社会人や学生でも、後者は主に情報技術に関わる仕事に就く社会人や学生に、それぞれ必要な関連知識があることを証明する国家資格となっています。コンピュータを使い仕事することが当たり前になった現在、その影響はより大きくなっていると言えるでしょう。学んだことを国家試験の受験にも繋げていくことができる、そのような授業が多いことは学部の大きな特徴の一つと言えます。

②情報とどう向き合うかを考える


先ほど述べた文化情報の説明の中での「受信」、情報を人がどのように受け取るのか、向き合っていくのかについて学ぶことができる授業があります。例えば情報技術に関して取りあげるとすると、自動車の自動運転といった技術の進歩に対して普及が進んでいないのはなぜか、技術と倫理の関係について挙げることができます。
その他にもコンピュータに関する「情報」だけではなく、人が物を使うときにやり取りされる情報や、様々な文化とそれに対する人の反応、受け取り方など「情報」については様々な捉え方があります。短い文章では説明が難しいのですが、新しい情報の考え方を知ることはとても面白いですよ!

③情報をどのように利用するかを学ぶ


国際文化学部の授業ではコンピュータの基礎を学ぶ他に、情報の発信についても理解を深めることができます。具体的にはメディアの特性を始めとした理論に関するものから、Photoshopと呼ばれるソフトを使った作品づくりといった実践的なものまで様々です。情報に関して知識を蓄えていくだけでなく、学部内で学んできた芸術や言語等の知識をいかに活用していくかを学ぶことができることも魅力の一つです。


おわりに


本記事では名前を聞いただけでは少しイメージすることが難しい「情報」の授業について、内容を三つに分けてご紹介いたしました。国際文化学部における情報の授業では、コンピュータの仕組みを始めとした知識を得ることができます。また、より広い範囲の情報の受け取り方・変化・発信について、様々な専門性をもった先生方のもと学ぶことができることは大きな特色と言えます。
下に今回の記事に関する国際文化学部の授業のシラバスをお載せします。こちらは2017年度版となっており、年度が変わった場合にはwebシラバスのページから科目名で検索すると、最新版を見ることができます。ぜひのぞいてみてくださいね!

法政大学webシラバスより
①国家試験に繋がる勉強ができる…情報リテラシーⅠ 、 プログラミング言語基礎
                情報システム概論 、 情報システム応用 
②情報とどう向き合うかを考える…ヒューマンインターフェイス論中国の文化Ⅲ 
③情報をどのように利用するかを学ぶ…メディアと情報情報コミュニケーションⅢ

法政大学webシラバスリンク

2017年10月23日月曜日

2017年度SJ国内研修参加者の声をお届けします

国際文化学部では、留学生を主対象とする国内研修、スタディ・ジャパン・プログラム(Study Japan Program:略称SJ)を2012年度より実施しています。

千畳敷カールを背景に(写真提供:髙栁先生)
2017年度は、8月31日から9月8日までの9日間にわたって研修が実施され、留学生2名と日本人のボランティア補助員2名(前後期で分担)が参加しました。


阿南町・和合の皆さんと五平餅づくり(写真提供:衛さん)
本プログラムの研修先は、長野県の飯田・下伊那地域。普段は東京で学生生活を送る国際文化学部生が「地方の視点」で考える目も養えるよう、実施されている研修です。

今年度は、高校生が運営するシェアスペース「桜咲造」において高校生や卒業生と交流したり、法政大学卒業生のお宅でホームステイをさせていただいたり、地元の方のご支援をいただきながら、新規取り組みも行われました。


2017年度プログラムの内容は、学部Webページに掲載しております、担当教員による振り返り記事からもご確認いただくことができますので、ぜひご覧ください。

阿智村の自然(写真提供:陳さん)
法政大学 国際文化学部Webページ
第6回「SJ(Study Japan)国内研修」が実施されました
http://www.hosei.ac.jp/kokusai/NEWS/topics/170915_01.html

本ブログでは、今年度参加者の皆さんの感想をお届けいたします。


参 加 者 の 皆 さ ん の 感 想


【 衛 嘉 さ ん 】
研修の成果発表会(写真提供:髙栁先生)
今回、長野県・飯田・下伊那での九日間は、私にとってすごく有意義な研修期間になりました。この研修を通して、日本は東京のような大都市だけではないと改めて思いました。五平餅を一緒に作ったり、鈴が沢なすという伝統野菜を収穫したり、阿南町をはじめとする現地の人々と触れ合うことによって、知識の幅が広がりました。また、飯田での見聞や調査に基づいて、私は研修成果を市の公民館で発表しました。このSJ研修は、これからの大学生活にとって非常に役に立つ経験になったと思います。



【 陳 傑 さ ん 】
和合小学校で和太鼓の練習(写真提供:髙栁先生)
長野県で過ごした9日間、大都会と違う日本の田舎生活を体験しました。元々飯田という地域は知らなかったのですが、事前授業や今回の研修を通じて、また地元の人々や学校の生徒たちとの交流機会もあり、自然と日本文化に包まれた飯田・下伊那郡の魅力を大変感じました。
自分は研修テーマを決め、研修中に自己調査しました。最後の日に発表会を行い、たくさんの方から貴重な意見と感想をもらい、感謝の言葉もありません。今回研修で得た経験は今後の大学生活にも大変役に立つと考え、非常に素晴らしくて有意義な研修だと思います。



駒ヶ岳で(写真提供:大塚さん)
【 大 塚 彩 里 愛 さ ん 】
私はSJ国内研修にボランティア補助員として参加しました。私は長野県出身で母が飯田出身ということもあり、研修期間で飯田の歴史、現在行っている地域活動など関心を持つことが多くありました。都会に住み始めて忘れかけていた田舎ならではの方言、豊かな自然、人との繋がりなど大切なことを再認識することが出来ました。また交流を通じて、貴重な知識を多く持つ高齢の方の意見を、私たち若者や留学生が引き継ぎ、発信していくことが必要だと感じました。これからの大学生活では、今回の経験を活かし勉強を進め、知識を増やしまた飯田市を訪れたいです。



【 中 戸 川 望 さ ん 】
桜咲造で高校生から水引を教わる(写真提供:髙栁先生)
SJ国内研修にボランティア補助員として参加しました。前半4日間で、飯田の地域や飯田に住んでいる人のために積極的に活動している人たちに直接会い、話をする機会がありました。彼らの活動を見て、日本の地域の伝統や歴史は人によって支えられて生きているのだと気付きました。実際に足を運んだからこそ得られるものが多くあり、地域から見た日本について考えさせられる意義深い研修になりました。


2017年10月20日金曜日

教員インタビュー 渡辺昭太先生(後編:国際文化学部での大学生活と受験生へのメッセージ)

渡辺昭太先生にインタビューをしてみた!(後編)

前回に引き続き渡辺先生のインタビューです。国際文化学部卒業生でもある渡辺先生に、SA(スタディ・アブロード)やゼミなどの大学生活を中心に伺ってきました。そして、最後には受験生へのメッセージもあります!


SA中にお世話になったアドバイザーの方との写真

Q1.渡辺先生は国際文化学部出身と伺いましたが、進学を決めた理由は何ですか?


色々な偶然が重なった結果なのですが、実は私は岡山県倉敷市出身で周りに法政大学出身の方が多くいました。一例ですが、私は高校で英語の専門コースに通っていたので英会話を習っていました。その英会話の先生の旦那さんが法政大学出身だったのです。それから高校の時の国語の先生に、法政への進学を検討していることを話したところ、他の高校に勤めている法政出身の先生を紹介してくださり、お話しを伺う機会を得ました。こういった方々に話を聞いてみると、法政は良いところだと勧めてくれ、また国際文化学部という学部では留学が確実に行けるということで進学を決めました。

Q2.どのような学生生活を過ごされましたか。印象に残った出来事などを教えてください。


4期生ですので私が入って初めて国際文化学部に4学年が揃いました。
4年間を通じて、大学内あるいは学部内で活動することが多かったですね。大学1年生の時からオープンキャンパスの学生スタッフとして活動し、学部紹介プレゼンテーションや在学生による座談会、受験生との個別相談などを担当しました。SA期間以外はほとんど参加していました。
また、国際文化情報学会の運営『異文化(※1)の編集などを行う学生役員の活動もしていました。サークルやアルバイトよりは、大学や学部に関わる活動が好きで仲間と活動していたのが思い出として残っています。
それから、先ほどもお話しましたが、ゼミでは、中国語の教材開発を研究テーマにして活動しました。4年生になると、大学院の受験準備のために勉強したり、中国語の文法(可能を表す助動詞の用法)をテーマにした卒業論文の執筆も行いました。学部に軸足を置いた4年間でした。様々な行事で学生スタッフとして活動した期間が長かったので、友達も比較的多く、大変刺激のある4年間でした。

※1 『異文化』:毎年、国際文化学部で発行している論文集

Q3.国際文化学部の特徴と言えばSA(スタディ・アブロード)ですが、SA先での思い出などを教えてください。


SA中国の4期生は、そもそもSAに行けるかどうか分らなかったのです。当時、新型肺炎のSARSという病気が流行っていたからです。SAは9月からスタートしますが、その年の冬~春頃にかけて、中国ではSARSが流行していました。そのため、SA中国の学生を対象とした説明会や、感染症の専門医を招いたセミナーが行われました。ぎりぎりまで行けるかわからない状態でしたが、その後、SAに行けることになり、バタバタしましたが無事SAを開始することができました。

SA中の思い出ですが、平凡かもしれませんが、授業や日常生活が一番思い出に残っています。現地での授業は、主に、4種類の授業があって精読(総合中国語)、会話、リスニング、HSK(中国政府公認の中国語能力試験)対策の授業がありました。
どの授業も、担当の先生が非常に素晴らしい方だったのですが、中でも精読とHSK対策の授業を担当してくださった担任の先生はとても印象に残っています。まず、発音が非常に聞き取りやすい上、その先生の話は内容が全て理解できるのです。おそらく、留学生がわかりやすい表現を用いて、必要なことを過不足無く説明してくださっていたのだと思いますが、本当に教え方の上手な先生でした。また、その先生は絵がとてもお上手で、我々の知らない単語などがあると、黒板に見事な絵を描いて説明してくださいました。特に、歯磨き粉の絵とあずまやの絵がとても印象に残っています(笑)。
会話の先生はとても豪快な方で、よく笑ってよく話す方でした。積極的に学生が話せるような、明るい雰囲気を作るのが上手な先生でした。
リスニングの先生は、毎回中国語の新聞の中から我々が興味を持ちそうな話題を紹介してくれたのがとても印象に残っています。
実は、精読を担当してくださった担任の先生とは、大学院で留学に行ったときに再会し、一緒に食事をしました。すでに退職されていましたが、とてもお元気そうでした。


SA先で実際に使用していた教科書。英語で説明が書かれている部分もあります。


また、授業以外の時間には、日本語を学習している中国人学生と相互学習をやったりしました。確か毎週火曜日の夜8時ぐらいに大学の食堂に集まって、相互学習をやっていましたね。だいたい常時10人くらい、多いときには20人近く集まっていたと思います。ただ、食堂は営業が終わると電気が消えて真っ暗になってしまいます。夜8時は営業が終わっていて真っ暗なんですよ。それにも関わらず、学生たちが真っ暗の食堂に集まって外の街灯の光とろうそくを明りにして一緒に勉強したりおしゃべりしたのは良い思い出として残っています。
また、選択制の共通講座で太極拳を履修し、他国の留学生とも交流しました。

それから、私は街歩きが好きなのですが、上海でも一人で地図を片手によく歩きました。上海では、全ての道に「○○路」という風に名前が付いているのですが、地図で面白い通りの名前を見つけては、そこに行ったりしていました。観光地ではないのですが、単にそうした様々な道を歩きに行くということをやっていましたね。ちなみに、上海の道は概ね、南北に延びる道には中国の省の名前が付いており(四川路、陝西路、河南路など)、東西に延びる道には中国の都市の名前が付いているんですよ(南京路、北京路、大連路、福州路など)。

上海市内の観光地にもほとんど行っていると思います。一番有名なところですと、黄浦江という川沿いにある昔の租界(中国にあった外国人居留地)にあるヨーロピアンな建築や川を挟んだ反対側にあるテレビ塔などの高層ビルを見ました。

あとは、北京や西安、杭州、南京、蘇州などを旅行したことも良い思い出です。上海から離れていて行く機会が少ないのですが、SAプログラムの旅行を利用して、色々な場所を見に行けました。町によっては雰囲気がずいぶん違いますね。上海は結構ごちゃごちゃとした感じなのですが、北京は道幅が広く大きな広場もありとにかく広いという印象でした。町によって雰囲気が違うのも中国の魅力だと思います。


SA中の旅行で訪れた杭州の西湖

上海の魯迅公園。水で地面に字を書く人(魯迅公園には芸術的な方がたくさんいるそうです。)

Q4.渡辺先生が思う国際文化学部の魅力を教えてください。


様々な科目の学習を通じて、自分の可能性を大きく広げることができる学部だと思います。私自身、入学するまでは語学には興味がありましたが、情報などの他のことにはあまり興味がありませんでした。国際文化学部に入って必修で情報の授業を受けて、楽しく感じ自分はこういうことにも興味があるんだなと気付きました。自分の興味や新しい関心を掘り起こしてくれる学部だなと思います。
現在、教員として中国語のeラーニング教材(※2)の開発なども行っています。国際文化学部で語学も情報も学んだからこそ、その両方の面白さに目覚め、文系や理系の分野を融合させながら教育や研究を行っています。しかも、国際文化学部には各分野の専門の先生が沢山いらっしゃるので、自分の興味関心に合わせて勉強するには最適の学部だと思います。

※2 eラーニング:インターネットなどを利用した学習

Q5.国際文化学部を目指す高校生へのメッセージをお願いします。


国際文化学部は、皆さんの興味や知的好奇心を刺激してくれる学部です。是非一緒に勉強しませんか。お待ちしています。

欢迎来到法政大学国际文化学部,让我们一起学习世界的文化吧!
(国際文化学部でお待ちしています。一緒に世界の文化を学びましょう!)


渡辺先生、ありがとうございました!


渡辺先生がオープンキャンパススタッフやSA、ゼミなど大学生活で様々な活動をされていたことが伝わるインタビューでした。また、先生の大学生活を通して、国際文化学部の魅力も伝えられたのではないかと思います。
今回の教員インタビューを通して、国際文化学部の学びをより具体的にイメージして頂けたら嬉しいです。


執筆者:古池萌

2017年10月19日木曜日

教員インタビュー 渡辺昭太先生 (前編:研究分野について)


渡辺昭太先生にインタビューをしてみた!(前編)


こんにちは!今回は、今年度新たに国際文化学部に着任されました渡辺昭太先生にインタビューをしてきました。実は、渡辺先生は法政大学国際文化学部の卒業生でもあります。ご自身の研究はもちろんのこと、国際文化学部での学生生活などについても伺ってきました。前編となる今回は、渡辺先生の研究分野を中心に紹介します。

渡辺昭太先生のプロフィール


研究テーマ

中国語学
日中対照研究
中国語教育

担当授業

中国語
中国の文化Ⅳ(中国語の構造)
中国の文化Ⅴ(中国語と日本語)
中国語科教育法Ⅰ・Ⅱ







インタビュー内容


Q1.最初に国際文化学部卒業後のご経歴を教えてください。


法政大学国際文化学部を卒業後、東京大学大学院へ進学しました。中国語の文法の研究をしたかったのですが、法政大学の大学院にはその専攻がなかったので、自分が研究したいことができる、他大学への進学を考えました。
どこの大学院でもそうですが、大学院は修士課程とその上の博士課程に分かれています。私は博士課程まで行きました。
修士課程の1年生の時は、中国語だけでなく、広く言語一般に関する授業があって結構大変でした。必修科目が4つぐらいあったのですが、担当の先生の多くはアメリカの大学院を出た方で、アメリカ式のやり方で授業をされました。テキストは全て英語で、授業で扱う箇所は事前に全て読み込んでいることを前提に授業を進めます。ですから、予習をせずにただ座っているだけでは授業についていけません。修士課程1年生の時は、中国語研究の授業ももちろんありましたが、言語学の全般的な知識を付ける授業の方が多かったですし、そちらのほうに学習時間をかけました。
修士課程2年生になると、出席しなければならない授業は減ります。主に自分の専門である中国語研究に関する授業に出つつ、修士論文の執筆に力を入れました。
修士課程の2年間が終わると、博士課程に入りました。自分の博士論文の執筆に向けて、自分の研究テーマを掘り下げていきました。また、学会で発表したり、学術雑誌に自分の論文を投稿したりと、それまでに研究したことを外に向けて発信する機会も増えてきました。また、大学院の同期のメンバーで一緒に研究会や勉強会を定期的に開き、自分の研究の進捗状況などを発表し合ったり、一つのテーマについて一緒に議論したりしました。

大学院時代には留学にも行きました。中国政府奨学金を受給し上海師範大学の大学院に留学しました。現地では、高級進修生(大学院研究生)という身分で研究活動を行いました。ゼミに出たり、自分の研究について発表したりもしました。

大学院を出てからは、大学や専門学校で中国語を教え始めました。一番、最初に教えたのは外国語の専門学校でした。選択科目の中国語を担当していたのですが、受講した学生はなんとみんな韓国人でした。そのため、日本人が韓国人に中国語の授業をするという、なんとも不思議な光景でした。その時の学生は3名ほどでアットホームな雰囲気で授業ができました。その後、いくつかの大学でも教えるようになりました。私は比較的いろんな授業を担当した経験があって、中国の留学生を対象とした翻訳の授業なども担当しました。
 法政大学では、最初に多摩キャンパスの経済学部で中国語を教え始めました。その後、市ヶ谷キャンパスの教職課程や国際文化学部の授業も担当するようになり、今年度、国際文化学部の専任教員として着任しました。

上海師範大学の始業式での挨拶。一番左側の方が渡辺先生です。

杭州旅行にて西湖湖畔にある雷峰塔を訪れた時の写真


Q2.渡辺先生ご自身の研究内容について教えてください。


専門は、現代中国語の文法です。特に、私自身が一日本人として、中国語を勉強した経験があるので、日本語母語話者の視点から見て不思議に感じられるところ、理解しにくいところ、「どうして中国語はこういう場合にこういう表現を使うのだろう」という違和感を大事にしつつ、それをとっかかりとして、論文を書くことが多いです。
これに関連して、中国語と日本語の対照研究も行っています。日本語母語話者が中国語を学ぶ時、あるいは逆に中国語母語話者が日本語を学ぶときに、どうしても間違いをおかしてしまいます。その時に、どうして間違いが起きるのか分析して日本語と中国語の特徴や文法の違いを研究したりもします。中国語などの外国語を学ぶ、あるいは教えたりすることは、母語である日本語についても深く考えるきっかけを与えてくれると思います。

Q3.中国語の研究を始めたきっかけを教えてください。


元々、中国語に限らず文法が好きだったこと、そして、学部時代に言語の教育に興味を持ったこと、これらが中国語研究を始めたきっかけですね。学部時代に、鈴木靖先生のゼミで中国語の教材開発を自分の研究テーマにしていました。国際文化情報学会(※1)でも発表しました。そこで、研究の面白さに触れ、もっともっと勉強してみたいという思いが強くなりました。
中国語の教材を開発するには、何よりもまず自分自身が中国語という言語そのものを深く理解する必要があると感じました。教材開発や教育というのは、様々な要素が複雑に関与してきますので、言語さえ理解できていれば良いというものではないのですが、ともあれ、中国語に対する深い理解は不可欠だと感じ、中国語学を本気で勉強してみようと思いました。
元々私は、高校では普通科英語系という、英語を専門とするコースに在籍していました。そこでも、文法や作文の授業は大好きでした。大学でも英語を専門にしようと思っていましたが、「もう一個ぐらい言語をやってみたら」と学校の先生から言われたことやクラスに中国からの帰国子女の友達がいて仲良く喋っていたことから中国語に興味を持ちました。文法好きと教育への興味、これが中国語研究のきっかけです。

※1 国際文化情報学会:国際文化学部で毎年開催している学会。詳しくはこちらの記事をご覧ください。http://hoseiintaculturalcommunication.blogspot.jp/2016/12/2016.html「法政大学国際文化学部 国際文化情報学会2016」


Q4.中国語の語学学習で大切なことを教えてください。


古いと言われるかもしれませんが、読み書きの面では、文法事項をきちんと覚え、その規則に則って翻訳や作文の練習を繰り返しやることが重要だと思います。単語は辞書を丁寧に引きながら読解を行うというのが鉄則だと思います。単純作業で面白くないように思うかもしれませんが、その面白くないと思うことをコツコツと積み重ねられるかどうかが、結局は確実な語学力を付けられるかどうかを左右すると思うので、単純なことを地道にやっていくことが大切だと思います。そういう文法的な知識やじっくり身につけた知識は、会話の練習をする際にも確実に役立ちます。「これでもか」というくらい、繰り返し覚えた文法事項や単語や構文は、それこそ喋る時に自然と口から出てくるようになるのです。コミュニケーション重視という風潮もありますが、その前提として文法事項や重要な単語を徹底的に頭に入れる訓練を経て体にしみこませると、それこそ文法を気にせず話せるようになるのだと思います。
聞く力を鍛えるためには、ディクテーション(※2)をするのがよいと思います。TOEICや中国語の語学検定試験などのいわゆるリスニング問題は、6割から7割程度聞き取れれば、正解にたどり着けることが多いのですが、ディクテーションは100%聞き取れなければできません。これは大変な作業ですが、大きな力になると思いますのでおすすめです。当たり前ですが、外国語は母語ではないので、そうである以上、じっくり時間をかけて、丁寧に学んでいく必要があります。近道ってないですよね。

※2 ディクテーション:読み上げられた外国語の文章を書き取ること


渡辺先生ありがとうございました!


渡辺先生の中国語学への思いや研究内容を知ることのできるインタビューでした。また、先生が研究されている中国語と日本語の対照研究は、「中国の文化Ⅴ(中国語と日本語)」という授業で学ぶことができますので、興味のある方はぜひチェックしてみてください。
次回は、渡辺先生が国際文化学部で過ごした大学生活について紹介します。SA(スタディ・アブロード)やゼミなどのお話を中心にお伝えします!





執筆者:古池萌

2017年9月12日火曜日

ゼミ紹介:「コンピュータエンタテイメント」重定如彦先生

国際文化学部ゼミ紹介、今回は重定如彦(しげさだゆきひこ)先生の情報文化演習に突撃します!重定ゼミの2017年度演習サブタイトルは、コンピュータエンタテイメント


こちらの画像は、何だと思われますか?
実は、過去のゼミ生が作成したゲームの画面なのです!

重定ゼミでは、プログラミングの知識を活かしながら、各ゼミ生が作品づくりに取り組んでいます。重定先生とゼミ生の皆さんに、ゼミの様子を教えていただきましょう!


 ミ 紹 介  

重定ゼミでは、主にコンピューターエンターテインメントを題材にコンピューターのプログラミングを学び、様々な作品を作成します。ゼミではまずプログラミングの基礎を学び、ある程度実力がついた所から学生が自由に題材を選び作品作りに取り組みます。3年次の秋学期では個人またはグループで作成した作品を国際文化情報学会(※)の場で発表し、4年次では卒業研究に向けた活動を行います。卒業研究では過去には自動車教習所のeラーニングシステムから、ぷよぷよのAIまで幅広く学生が自分で興味を持った題材に取り組んできました。


ゼミで過去に作成した作品は下記のURLからダウンロードできますが、この記事では活動の一部を例として紹介します。


(※)国際文化学部生・大学院生による研究発表会。
2016年度の様子はこちら


 あ る 日 の 定 ゼ ミ 

活動1:シューティングゲーム
ゼミに入ったばかりの3年生が行う活動。比較的簡単な題材をもとにプログラミングの基礎を学ぶ。例えば2017年度の5月のゼミでは簡単なシューティングゲームを扱い、自機や弾や敵をどのようにプログラミングで表現し、アニメーションさせるかについて学んだ。


※シューティングゲームは下記のURLからダウンロードできます。
 なお、ある程度作った時点で次の題材に移ったので
   ゲームとしてはすぐに終わるという未完成品です。
 http://vp.fic.i.hosei.ac.jp/mahara/view/view.php?id=15188
 
   同じく3年生が作成したゲームを、以下のぺージでも紹介しています。
 http://vp.fic.i.hosei.ac.jp/mahara/view/view.php?id=15187

活動
2:Scrabble

Scrabbleは、アルファベットの書かれたタイルを並べ、クロスワードパズルのように単語を作って得点を競うボードゲーム。英単語の教材としてこのゲームを題材にソフトを作成し、AIの対戦会を行った。対戦会では各ゼミ生が作成したScrabbleのAIを持ち寄って100回ずつ対戦するというリーグ戦を行い勝敗を競った。


※この活動で作成したアプリケーションは下記のURLからダウンロードできます。
 http://vp.fic.i.hosei.ac.jp/mahara/view/view.php?id=14320
 こちらのアプリケーションを実行していただくためには、
 NET Frameworkをダウンロードする必要があります。
 NET Frameworkダウンロードページ:


  ゼ ミ 生 は  た !  

ゼミに入ってから知ったことですが、プログラミングに使う言語の多さに驚かされました。とりあえず知られている物で200種以上はあるそうです。(ゼミ生3年生,M.Y.さん)


とにかく自由!!各自決めた内容で、オリジナルのゲームが制作できます。先生のわかりやすい個別指導で、効率よく、そして楽しくプログラミングの世界を知ることができますよ!(ゼミ生4年生,M.M.さん)


重定ゼミでは、「やる気があればプログラミング未経験者も歓迎」とのことです。実際に、これまでのゼミ生のほぼ全員がプログラミング未経験者でした。努力とアイデア次第で、様々なソフトがつくれそうですね。
まずは、ぜひ作品のページにアクセスして、ゲームを体験してみてくださいね。

2017年9月1日金曜日

ゼミ紹介:「フランコフォニーの言語文化」廣松勲先生~後編~

前回に引き続き、「フランコフォニーの言語文化」をテーマとする、廣松ゼミのご紹介です。前編をまだ読まれていない方は、ぜひこちらからお読みください。


今回は、フランコフォニー(フランス語圏)を知るための、廣松先生お薦め映画情報第2弾。


画 を 通 じ て フ ラ ン ス 語 圏 ( フ ラ ン コ フ ォ ニ ー )を 見 て み よ う !

2回 日本版DVDのない作品
2回では、日本版DVDが発売されていない作品を中心にまとめてみました。
フランス語圏とはどんな地域なのか、そして各地域でどんな言語文化が育まれているのかを知るために、ゼミでは、次のような映画を見てきました。いずれも言語・文化・民族間の接触をモチーフにしており、かつ “ステレオタイプ/クリシェ”を存分に活用しながら、コメディータッチに描かれた作品です(一部コメディではない作品もあります)。当然ながら、このような映画に描かれる世界観を鵜呑みにしてはいけませんが、同時になぜそのようなステレオタイプが生じたのかを調べてみるのも面白いでしょう。
予告編はYouTubeなどでも閲覧できるものが殆どですので、興味のある方は是非ご覧ください。

1.カナダ・ケベック州の映画
「危機に瀕した文化」(原題:La culture en péril2008年.
カナダ元首相スティーブン・ハーパー時代の緊縮政策により、文化政策への補助金が大幅にカットされることになった。ケベック州出身の芸術家たちは、補助金をもらうために英語話者の役人たちによる面接試験を受ける必要があった。現実の文化政策への批判として作成された動画で、ケベック州の芸術家たちが多く出演しています。カナダにおける英語圏とフランス語圏の関係性を戯画的に際立たせる技法は、先に紹介した『ブレイキング・コップス』とも共通したものといえます。

2.カリブ海域諸島の映画:マルティニック島またはグアドループ島が舞台
②『はじまりの小屋』(原題:Case départ2011年.
⇒フランス本国に住むカリブ出身の兄弟が、ひょんなことから、植民地・奴隷制時代の時代のカリブ海域諸島にタイムスリップ!どうしたら「現在」に戻ることができるか…。フランス共和国の負の歴史を扱った映画で、恐らく初めてのコメディ映画だと思われます。フランスとカリブ海域との繋がりを歴史的に見てみる良いきっかけかも知れません。

マルティニック島:シェルシェール図書館
3.アフリカ諸国の映画:架空のアフリカの国、ブルンジが舞台
③『ボツワンガの鰐』(原題:Le crocodile du Botswanga2014年.
⇒フランス本国に住むボツワンガ出身のサッカー選手とそのスカウトマンが、ボツワンガに凱旋帰国。しかし、そこは“ボツワンガの鰐”と呼ばれる独裁者が支配する国だった…。独立以後のアフリカに登場した数々の独裁者の中でも、現コンゴ民主共和国のモブツ・セセ・ココの支配体制をパロディにした物語。彼はかつて「ザイールの豹」ともあだ名されていました。

④『お前もか?』(原題:Na Wewe2010年.
1994年頃、悪化した民族対立を背景とした内戦が進行中のブルンジにて、或る乗り合いタクシーが山間を走っていた。突然に現れた戦闘員に足止めされ、乗客は一人一人、どの民族出身か(ツチかフツか?)を答えさせられる…。旧ベルギー領のブルンジを舞台にした短編映画です。必ずしもコメディではありませんが、タイトルと関連した“落ち”があります。多くの映画祭にて賞を受賞した作品です。

4.マグレブの映画
マグレブ(北アフリカ諸国)の一国、
モロッコの料理
『ハラル特別捜査班
(原題:Halal police d’État2011年.
⇒パリで起きたアルジェリア女性外交官殺人事件を解決するため、2人の捜査官がアルジェリアからやって来る。はちゃめちゃな捜査を続けながら、殺人犯を突き止めようとするが…。アメリカの古い刑事ドラマのパロディである本作は、コメディアン・デュオ「Éric et Ramzy」が主役を演じ、“異文化間捜査”とでもいえるプロットが巧みに描かれています。

⑥『彼処に生まれて』
(原題:Né quelque part2014年.
⇒パリに生まれ育った主人公は、アルジェリアにある父親の生家の取り壊しを防ぐため、初めてアルジェリアを訪れる。主人公は目的を果たそうとする途上で、「アルジェリア」との繋がりを再発見することになる…。必ずしもコメディではありませんが、コメディアンのジャメル・ドゥブーズ演ずるアルジェリア人青年は道化役として物語を展開させていきます。また、本作品を鑑賞する際には『オデュッセイア』に代表されるような「故郷への帰還」というプロットとの繋がりを想起してみるのも面白いでしょう。

5.ヨーロッパの映画①:ベルギー(とフランス)が舞台
⑦『異常なし』(原題:Rien à déclarer2010年.
⇒単一欧州議定書とマーストリヒト条約が発効された結果、フランスとベルギーの国境沿いの税関は廃止されることになった。2人の主人公(フランス人税関吏とベルギー人税関吏)は性格も価値観も正反対にも拘わらず、運悪く協力して国境警備に当たるよう指示されるのだが…。極度のフランス嫌いを自称するベルギー人税関吏を演じるのは、ベルギー人のブノワ・ポールヴールド。彼は前回ブログで紹介した『神様メール』では神様を演じています。

6.ヨーロッパの映画②:スイスが舞台
⑧『ようこそ、スイスへ』(原題:Bienvenue en Suisse2004年.
⇒フランス在住のスイス出身の男性が、フランス人の妻と一緒に、祖母の葬儀のためスイスに向かうことに。そこで望外の遺産があることを知らされ、兄弟姉妹たちと分与することになるのだが…。フランス人の抱く「スイス文化やスイス人」のイメージを利用しながら、主人公の妻(フランス人)と同じように視聴者も不思議の国スイスを旅することになります。

7.フランスの映画:北フランス(ノール・パ・ドゥ・カレ)が舞台
⑨『ようこそ、シュティスの国へ』(原題:Bienvenue chez les Ch’tis2008年.
⇒南仏で働くうだつの上がらない男が、突然フランス北部に左遷されることになる。そこはフランスでも名高い“田舎町”であり、主人公はその地域に受け入れられるために孤軍奮闘する…。フランス北部のステレオタイプが、当該地域の住民の性格や生活様式のみならず、言語についても存分に活かされています。


モーリシャス島:首都Port Louis港
遠くに出掛けることが難しい方も、廣松先生お薦めのフランコフォニー映画で
フランス語圏の豊かな文化・世界に触れてみてください!

2017年8月22日火曜日

ゼミ紹介:「フランコフォニーの言語文化」廣松勲先生~前編~

法政大学国際文化学部では、3年生から演習を履修することができます。開講されているゼミは、30以上!このブログでは、各ゼミの内容やゼミ生のみ知る担当教員の素顔などを紹介していきたいと思います。

初回は、フランコフォニー文学を研究分野とされる、廣松勲(ひろまつ いさお)先生のゼミです。ゼミのサブタイトルは 「フランコフォニーの言語文化」
「フランコフォニー」って、何でしょう・・・?

ここからのゼミ紹介は、廣松先生・ゼミ生の皆さんにバトンタッチします。


 ミ 紹 介 



フランス語圏(フランコフォニー)は、ヨーロッパの他に、北米大陸(カナダ・ケベック州)やアフリカ諸国(マグレブ地域と西アフリカ)、一部のカリブ海域諸島やインド洋・太平洋地域諸島など、世界中に広がっています。廣松ゼミでは、そんなフランス語圏の言語文化的な多様性と共通性を、文献・映像などを通して分析します。主なゼミの活動は、毎週課題となる本を分担し、レジュメを元に発表しています。また、卒業研究の作成に向けて、個人発表を行うこともあります。このように、フランス語というひとつのつながりから、言語や宗教、人種、教育など様々な問題について理解を深めています。(ゼミ生4年生,A.M.さん)

 あ る 日 の 松 ゼ ミ 

活動 レジュメ発表の日
廣松ゼミでは毎週指定された文献を皆で読み込んでいくという活動をしています!各自章ごとに担当を決めて、内容の要約レジュメを作成し、ゼミの日に発表という流れです。大変だけど、すごく要約の力がつきますよ!(ゼミ生3年生,M.I.さん)

活動 個人発表の日
廣松ゼミでは、卒論の準備段階として個人発表を行います。卒論で自分のやりたい研究内容、現在集めている資料、どこまで作業が進んでいるかを発表します。教授から卒論のアドバイスを頂けるのでがんばれます!(ゼミ生3年生,R.F.さん)


 ゼ ミ 生 は た ! 

昨年度は、他のゼミと合同でゼミ合宿を行い、富岡製糸場を訪れました。


合宿中、激辛のカレーを食べたり、ホラー映画好きが発覚したりと、廣松先生の意外な一面が見られて大変面白いものでした。(ゼミ生4年生,A.M.さん)

画 を 通 じ て フ ラ ン ス 語 圏 ( フ ラ ン コ フ ォ ニ ー )を 見 て み よ う !

1回 日本版DVDのある作品
1回では、日本版DVDが発売されている作品を中心にまとめてみました。
フランス語圏とはどんな地域なのか、そして各地域でどんな言語文化が育まれているのかを知るために、ゼミでは、次のような映画を見てきました。いずれも言語・文化・民族間の接触をモチーフにしており、かつ “ステレオタイプ/クリシェ”を存分に活用しながら、コメディータッチに描かれた作品です(一部コメディではない作品もあります)。当然ながら、このような映画に描かれる世界観を鵜呑みにしてはいけませんが、同時になぜそのようなステレオタイプが生じたのかを調べてみるのも面白いでしょう。

予告編はYouTubeなどでも閲覧できるものが殆どですので、興味のある方は是非ご覧ください。

1.カナダ・ケベック州の映画
①『ブレイキング・コップス』(原題:Bon cop Bad cop2006年.
⇒カナダ英語圏(オタワ)の刑事とカナダ・フランス語圏(ケベック州政府)の刑事が、オタワ・ケベック州境において発生した殺人事件現場にて出会うことになる。彼らは反目し合いながらも、その殺人事件の捜査を行うことになるのだが…。つい最近までカナダ映画史上、もっとも多くの興行収入を獲得した映画であり、2017年度には続編が公開されました。
ケベック州・モントリオール:サン・ジョゼフ礼拝堂(遠景)

2.ヨーロッパの映画:ベルギーが舞台
『神様メール』原題Le tout nouveau testament2015
⇒もしも神様がベルギーに住み、世界がベルギーから始まったとしたら?神様の娘は傍若無人な父親に反発し、より幸せな世界の創造を求めて旅をすることになる…。原題を訳すと『全く新しい新約聖書』という意味合いになります。『新約聖書』のように、ただし今回は神様の「娘」が主人公となり、使徒を集めるための旅に出ます。

3.フランスの映画:国際結婚、タイムスリップ物
③『最高の花嫁』(原題:Qu’est-ce qu’on a fait au Bon Dieu2014年.
⇒敬虔なカトリックの夫婦、彼らの3人の娘が結婚したのは、出身や宗教(ユダヤ人、アラブ人、中国人)が自分たちとは全く異なる男たちであった。そして、最後の望みの末娘が結婚相手に選んだのは、カトリックとはいえ、コートジボワール出身の黒人青年だった…。本作と比較しながら、フランス映画に於ける移民系の人々の描かれ方を観察してみるのも興味深いでしょう。

④『おかしなおかしな訪問者』(原題:Les visiteurs1993年.
⇒中世フランスの騎士とその従者が自らの過ちを正すためにタイムスリップ。しかし、到着したのは20世紀のフランスだった。どのようにして彼は過去に戻り、歴史を正すことができるか…。中世と現代フランスを旅する2人は、また別の意味で異文化を体験することになります。本作は第2作(1998年)、第3作(2016年)が制作され、またハリウッドでもリメイク(2001年)されました。



「フランス語圏は、欧米だけじゃないのか!」と、驚かれた方もいらっしゃるでしょうか。今年度のゼミ受講生は全員がフランス留学経験者ですが、フランス語を知らない学生も履修ができる、多文化・他文化共生について考えてみたい全ての方に開かれたゼミです。
フランス・アンジェ:西部カトリック大学入口
本学部SAフランス参加者は、この大学の国際フランス語研究センターで学びます(2017年度現在)
次回「後編」では、お薦め映画情報第二弾を公開いたします。
アフリカ諸国やカリブ海諸島を舞台とする作品も取り上げられますよ!
どうぞお楽しみに。