2017年12月26日火曜日

派遣留学生・福田涼さんインタビュー!(後編・留学中「ここで生きていける」と思った瞬間)

前回に引き続き、2016年度派遣留学生(派遣先:メキシコ・グアダラハラ大学)、福田涼さんにインタビュー!今回は、福田さんの語学学習方法や就職活動について、留学を経て大切だと思ったことなどをお伺いしました。

まだの方は、ぜひ前半からお読みください。

Q 語学力はどれくらい身に付きましたか?

留学前に逐次通訳できるといわれているレベルの資格(DELE B2※)を取っていて、授業を聞くことには問題がなかったのですが、最初はディスカッションに入る余地がありませんでした。周りはみんなネイティブなので、考えずにベラベラしゃべるのが当たりまえ。議論を止めて、白けた所で発言するしかない、みたいな(笑)。

専門的な話をする時には用語に苦労しました。日本語でもわからない単語が出てきたりして。意図せずに入ったグラフィックデザインの授業では、まず紙の名前が分からず、15種類くらいある紙の名前を覚えることから始めました。また、同じスペイン語でもスペインとメキシコでは使っている語彙が違うので、たまに伝わらずに困りました。例えば、「バス」はスペインでは「アウトブス(autobús)」なのにメキシコでは「カミオン(camión)
」。でもスペインで「カミオンで来た」と言ったら、「トラックで来た」ということになってしまいます。通じないし、笑われることもありましたね。「お前、どこでスペイン語覚えてきたんだよ」って。

でも今はスペイン語で考える実力がついて、特に専門性の高いことでなく基本的なことであれば、もう何でも話せます。帰国後、「
メキシコ訛りが強くなったね」と言われます。「結構メキシコっぽいね」と。メキシコのスペイン語は標準的な発音をするといわれているので、「訛り」だとは自分では思っていないのですけど・・・、でも、嬉しいですね。

(※)DELE:日本では、セルバンテス文化センターが
実施している
   スペイン語検定試験。

          レベルは、A1(入門)、A2(初級)、B1(中級)、
   B2(中上級)、C1(上級)、C2(最上級)の6段階がある。

Q 高いスペイン語運用能力を身につけられた、福田さん。

そこに至るまでの、学部での語学の勉強はどうされていましたか?

学部では、語学の授業が週に3・4回ありましたが、元々語学を学ぶために勉強するのが好きではないので、嫌いな文法などはささっと終わらせてしまって、あとは楽しみながら身につけたいと思っていました。スペイン語圏のイベントに出かけてネイティブの友達を作って話すとか、映画やドラマを観て、耳を鍛えるとか。
読書も好きなので、今も一冊持ち歩いていますが、スペイン語の本を読むのもそうです。語学は勉強するものではなく、コミュニケーションのツールだと思います。勉強だと思うと面倒くさいし、やる気も出ないけれど、こんな風に日常生活の中に取り入れるとどんどん楽しめます。

Q メキシコで就職の予定だそうですが ?

実は、物心がついた頃から海外で就職することが夢でした。派遣留学するからにはそこで就職するということを大きな目標として掲げていました。
とても幸運なことに、今のメキシコは、ちょうど日本の企業が進出を始めたところです。アジアにはすでに進出していますが、今、まさに進出し始めているのは貴重だなと思って。先日、ブラジルに進出した日本の飲料メーカーが撤退したというニュースがありました。現地の信頼を勝ち取り、そこに定着するのは難しいことです。2020年にはこの進出ブームが終わっていると言われているので、まさにこの時期に、そこで働けるというのはめったにないチャンスだと思っています。

Q どのようなお仕事ですか?

ロボット関連の日系企業の現地法人です。半分、日本語・英語・スペイン語の通訳と翻訳を行いつつ、技術的な業務内容もあります。まさに国際文化学部の情報文化コースで4年間学んだ内容がそのまま生きてくる就職先だなと思います。

Q 向こうでの就職活動はどういったものでしたか?

書類と1~2回の面接だけで決まります。日本では3次・4次面接が当たり前ですが、それに比べると短期決戦です。内定というシステムがなく、決まったらすぐに仕事が始まります。日本での中途採用のようなイメージですね。

Q メキシコへ「戻りたい」ですか?

日本は物価が高いので、生活できない。帰国してからは、アルバイトをしていないので親に頼らないと(笑)。留学中、最後の2か月はずっと日本に帰りたいと思っていました。日本食がすごく恋しくなっちゃって。

メキシコで出会った日本食(マグロが乗った海苔巻き)
向こうにも「日本食」はあるのですが、やはり何か違います。ラーメンのスープがとても美味しいのに、麺が恐ろしく不味くて、仕方なくスープだけで我慢したり、海苔巻きにマグロが乗っていて、醤油の代わりにゴマ油の入ったソースだったり。何にでも、アボカドやチリが入っています。風邪をひいたときにはお腹にやさしいうどんを食べたい。チリじゃないんだよって(笑)。
でも、日本に帰ってからは、またすぐにメキシコに戻りたくなりました。これからメキシコが主軸となって、年に一回くらい帰国して日本食を食べて、友達や家族に会えればいいかなと思っています。

Q 福田さんにとって「あそこがあったから、今の自分がいる」という場面や場所は?

一つ目は、派遣留学で空港を出る時、飛行機に乗った瞬間。それまでも何度も飛行機には乗ったことがありますが、これから10か月間日本を離れなきゃいけないという気持ち。期待もあり、不安もあり、席に着いたとき、それを強く感じましたね。


二つ目は、場面とか場所ではないのですが、現地での友人です。なんでも相談できて、信頼できる特別な友人が出来た時。留学に行けば自然と友達はできると思いますが、不特定多数でなく、難しい話や色んな話ができる親友が出来た瞬間、「ここで生きていける」と思えました。この写真の二人ですが、キャンパスが変わって、一旦離れてから2・3か月ぶりの再会の時のものです。

Q 留学を経て大切だと思ったことは何ですか?

色々と経験している人が皆、言っていることだと思いますが、結局、最後は自分 。メキシコは他の先進国などに比べると貧しく、大変な国です。それでも僕としてはメキシコでしかできない経験が出来たと考えています。苦しくても、色々ハプニングがあっても乗り越えられたのは、留学を申し込んだ時に決めていた目標や思いを忘れないで過ごしてきたからだと思います。これから留学に行く方々へ向けてのメッセージとしては、なんとなくではなく、明確な目標を4か月なり、1年なり持ち続けて、最後まで頑張って欲しいなと思います。

2017年12月22日金曜日

派遣留学生・福田涼さんインタビュー!(前編・ハプニングから始まったメキシコ留学生活)

今回は、2016年度より派遣留学先に加わったメキシコ・グアダラハラ大学への第1期派遣生、福田涼さんにインタビューを実施しました。その様子を、2回にわたってお届けいたします。この記事を読んでいる方の中には、留学に行きたいと思っている方も多いと思います。国際文化学部の多くの学生が参加するSAプログラムは良く知られていると思いますが、それ以外の留学プログラムも充実していますので、インタビューを通じてその違い等もお伝えできればと思います。


 【福田涼さん プロフィール】
2013年4月、法政大学国際文化学部入学。
2年次、国際文化学部SAプログラム(※1)でスペイン・バルセロナ大学へ留学(2014年9月~2015年1月)。4年次、派遣留学生(※2)としてメキシコ・グアダラハラ大学へ留学(2016年8月~2017年5月)。
2017年9月、同学部を卒業し、社会人生活のスタートを切る。
在学時選択していたのは、情報文化コース。ゼミの担当教員は、和泉順子先生(2017年度同ゼミのサブタイトルは「情報科学技術の問題の発見と考察」)。

(補足)SAプログラムと派遣留学の違い
(※1)国際文化学部
SAプログラム
(※2)派遣留学
参加対象者国際文化学部所属の2年生
※指定入試で入学の外国人留学生は、SJ(スタディ・ジャパン)参加。SSI参加者は選択制。
全学部の3・4年生
※希望者/選考は参加前年度に実施
期間約3か月~5カ月
※ただし夏期プログラムは約1か月
原則1年間
参考
Webページ
法政大学国際文化学部
Webサイト:
SA留学
法政大学グローバル教育センターWebサイト:
派遣留学制度(協定校留学) 
※表中の情報は、2017年度時点のものです。



Q 派遣留学に参加される前、ゼミではどのような勉強をされていましたか? 

僕が所属する和泉ゼミの根幹となるテーマは、「情報社会における問題点の追求」です。僕自身は、「インターネットを介して文化のやり取りをしたときに、どのように伝わるのか」ということを研究していました。

例えば、日本文化を発信したいと思っても、距離や言語の問題で正しく伝わらないことが多々あります。具体的には、メキシコで「コンコミックス」という「日本の」漫画やアニメのイベントがあっても、そこで売られていた「デスノート」の説明が中国語だったり、ずいぶん古いものが日本の最先端のものとして売り場に置いてあったり。「日本の」マーケットで売られていうポッキーにタイ語が書かれていたり、「東京」と書かれたTシャツも人気ですが、文字が中国風だったり。

逆に僕らも「メキシコの文化」と聞いたときに、サボテン・テキーラ・麻薬を思い浮かべますが、当たり前ですけど、実際に行ってみるとそれだけじゃない。

Q 例えば、どのようなものがあるでしょうか。

まず、メキシコには意外と日本の生活と関連のあるものがある。さけるタイプのチーズは、メキシコのチーズ(スペイン語では、queso oaxacaもしくはqueso oaxaqueño)を真似て作られたものですし、チワワもメキシコのチワワ州が原産だと言われている。世界に流通しているアボカドのほとんどがメキシコ産ですし。
日本と似ている文化もあって。コンチャというパンは、味も形もメロンパンに似ています。あとは、バレロというけん玉が、メキシコにもあります。剣しかなくって、横に載せられないので、ちょっと難しい。面白いですよね。

Q 日本に帰って来てカルチャーショックはありましたか?

満員電車がやばいです。あと、電車が
23分遅れただけでアナウンスが入ったりするのが、今となってはとても奇妙に感じられます。メキシコでは30分遅れることも普通にあるので。

基本的な交通手段はバスですが、まずバス停がどこにあるのかよくわからない。見つけ方としては、道路に5人くらい並んでいたら、そこがバス停。でも運転手の気まぐれで、乗りたい人がいても停まってくれないことが多いです。そのバスが10分に1本だったら良いんですけれど、30分に1本の時には、あと30分待つことになります。

ある日、初回の授業の時にバスが来なくて、20分遅れたことがありますが、先生も時間通りには着かないので、結果的にはセーフでした。また、急に工事が入るとアナウンスなしでバスのルートが変わってしまい、一度、目的地の半分くらいまで行ったところで、いきなり知らない場所で降ろされたことがあります。そこから2時間遅刻して約束の場所にたどりついたのですが、会う予定だった友人も遅れて来たりして、2時間だったら、「まあちょっと遅いかな」くらいの感じです。
時間にピッタリ来る人は少なく、むしろ遅れるのが当たり前。日本では少し電車が遅れただけで時計を見てイライラし始める人がいますが、きっとストレスが溜まっているんだろうなと思います。メキシコでは怒っていたらきりがないので、だいぶ寛容になりました。

Q なぜスペイン語圏のSAに行かれたのですか?

僕はもともと英語が好きで、他の言語もマスターしたいと思っていました。入学当初、SA先は英語圏を希望し、第二外国語としてスペイン語を履修するクラスに入っていたのですが、オリエンテーションで第二外国語はマスターできないと聞き、SA先をスペインに変更しました。スペイン語は英語や中国語・韓国語などと較べ、売っている教材も少なくて、学べる機会も少ないので、英語は独学で頑張って、スペイン語は授業やSAでしっかり学びたいと考えました。「それだと、どちらの言語も中途半端になってしまうかもしれない」というクラスメートもいましたが、僕は負けず嫌いなので、逆にやってやろうという気になりました。

Q 派遣留学に応募したきっかけとメキシコにされた理由は?
1年生の時、たまたま先輩から派遣留学のことを聞き、何か他の人と違うことがやりたいと思っていたので興味を持ちました。SAが終わった段階では、スペイン語圏の派遣留学先はスペインのビック大学しかありませんでした。マレーシアなど、英語圏の派遣先も視野に入れて準備を進めていましたが、応募締切りの直前にメキシコのグアダラハラ大学が追加されて、これはもうそこに行くしかないと思いました。というのも、高校の時にメキシコの本を読み、以来、ラテンアメリカに関心があったからです。植民地時代の負の遺産であるスペイン語という言語を現地の人たちは一体どのような気持ちで話しているのか、といったことに興味がありました。簡単な問題ではないのですが・・・、現地のナワトル語と合わさってできたスペイン語が話されていますね。

Q SAと派遣留学の違いは?
同じところが見つからない位、違います。期間は単純に2倍ですが、体感する辛さが全然違いました。
SAは授業のレベルが語学学校で、周りの学生もノンネイティブです。派遣の時は、周りの留学生も全てスペイン語圏から来ていたので、自動的にネイティブ・スピーカーと張り合わなければならない環境でした。

Q 派遣留学はどのようなものでしたか?
とんでもないハプニングもあって、1期生らしい留学でした。 

僕はマルチメディア工学部でプログラミングやウェブデザインを学ぶ予定でしたが、何と、派遣先から送られてきた入学許可証のキャンパス名が間違っていて、ホームステイ先近くのキャンパスから本来行くべきキャンパスまでは車で5時間。間違えて多摩キャンパスに行ってしまった学生とは、レベルが違います(笑)。でもそこの教授に相談すると、あっさり、「だったら、ここで勉強すれば?」と言われ、最初の半年は、手で描くところからグラフィックデザインを学ぶことになりました。こういうことが特に手続きもなくまかり通ってしまいます。確認したら、グアダラハラ大学のHPでもキャンパスが間違っていましたね・・・。日本だったら訴訟問題かもしれません。でもメキシコではこれぐらいのことに怒っていたらキリがない ()。グアダラハラ大学には学部が少なくとも50はあり、キャンパスもあちこちにあるので、まあ間違いがあっても仕方がない、と。


福田さんが授業でデザインされたTシャツ
不本意でしたが、結果的にデザインを基本的なところから学べたし、良い経験でした。留学の後半では、本来のキャンパスでマルチメディアの勉強ができました。国際文化学部で情報文化を学び、コンピューターは文系と理系の間という感じでとらえていたので、特にマルチメディア工学が理系だという意識はありませんでした。