2016年11月29日火曜日

教員インタビュー林志津江先生(後編:先生にとっての国際文化学部)

新任教員・林志津江先生にインタビューをしてみた!(後編)

こんにちは!国際文化学部学生広報委員のHです。今回も、前回同様林先生へのインタビューの報告をしていきたいと思います!後編は林先生が受け持っているゼミについてと先生にとって国際文化学部とはどういったところなのかを伺いました。そして、最後には受験生へのメッセージもあります!

インタビュー内容


Q1.林先生の演習(ゼミ)の内容を教えてください


「個性派揃いの林ゼミメンバー」
ポップカルチャー、とくにポピュラー音楽についてですね。
演習は、音楽コンテンツの制作ではなく、音楽と社会、とりわけ私たちの身の回りにある、社会の営みの中で芸術や文化現象が成立する様について考える作業が中心です。
皆さんのなかには、芸術や文学をどこか、芸術家なり作家なりの個人的な世界観のあらわれだと思っている方もおられるかもしれません。ですが芸術や文学もまた、作り手が社会と接触する中で実現する社会的構築物で、政治や経済といった要素抜きでは存在しえない現象です。
そしてその一番わかりやすい例のひとつが、ポピュラー音楽です。なぜならポピュラー音楽は、そのはじまりがすでに商業音楽で、人間の消費活動の拡大とともに成長したというだけでなく、録音技術やラジオ、テレビなど、情報や通信に関わるメディア技術の革新がなければ、そもそも誕生しえなかったメディアだからです。

また演習では、人間の価値観やコミュニケーションといった基本的な問題を考えます。音楽は嗜好品です。人によって好き嫌いもあり、そこに人間の価値観が反映されます。例えば日本の誇る「アイドル」について考えるとき、そこには個人の価値観とともに、日本の人々が無意識に何を大事だと思うのかが透けて見えます。ですから、日本や韓国で「アイドル」が活躍しているのは、どういう社会に生きていたらどういうことを大事に思うのか、どういうものが大事じゃないと思ってしまうのかという、人間の思考と行動の結果でもあるのではないでしょうか。私たちは音楽を通して、究極的には人間と社会を見ているんです。

もちろん、クラシック音楽が 最初から「クラシック」(古典)だったわけじゃないですよね。言葉の意味から考えれば、むしろベートーヴェンの「第九」のような曲こそ、「ポピュラー」(大衆)音楽だと言えるのかもしれません。
ただ、いわゆる商業音楽としてのポピュラー音楽には、現在の私たちが「クラシック音楽」と理解しているものにはあまり見られない特徴もあります。
例えば、音楽には興味がない、テレビは見ないという人でも、バイト先のカフェで流行りの音楽を耳にする、ということはあるかもしれませんよね。そうすると、「この歌のことは何となく知っている」といった記憶の形成が可能になるわけです。
さらに流行歌は、「この歌が流行っていた頃、私は〜だった」「この歌を中学卒業の年に聴いたという人は、私とは同級生だ」というように、記憶の共有、さらには仲間意識の形成を可能にします。どの歌を記憶しているかということに、ライフステージやライフスタイル、世代や年齢の差が色濃く反映されるわけですね。
一方で、例えば日本での「第九」の浸透には、学校教育やマスメディアの果たしている役割が大きいでしょう。誤解を恐れずに言えば、クラシック音楽の知識が、趣味や教養の問題として理解されがちなのに対し、あるアイドルの大ヒット曲を知っているかどうかは、趣味というよりも、世代や育った場所、ライフスタイルの差として理解される傾向が強いのではないでしょうか。ポピュラー音楽は、アイデンティティの形成に関わりうるという意味でも、興味深いメディアです。
↑「ゼミ活動風景。学会に向けて準備中」


Q2.担当している講義の中で印象的だったことを教えてください



自分の研究で詩を読んできたことと関係があるのかもしれませんが、学生さんたちが、自分の考えを説明しようと頑張っているところを見ると、すごくよかったなと思います。何かをうまく伝えられる能力はもちろん重要ですけど、その前段階の、上手く言えないもどかしい瞬間が、私にはいちばん大切なことのように思えます。
例えば学生さんたちが、ゼミなどで「うまく言えないんですけど」みたいに、慎重に言葉を選んでいる瞬間を見るたび、私は「この人はたったいま、自分で何かをつかんでるんだ」と思ってすごく嬉しくなります。ドイツ語の授業でも、私はペアワークやグループワークの風景が好きです。いざお隣さんに文法を説明しようとすると、案外それが難しい。ですが、「ちょっとうまく言えない、でも」と思っている時にこそ、その人は前進しています。なので、自分の思考や理解の道筋をアウトプットするというところで試行錯誤しているのを見ると、すごく頑張ってるなと思いますし、言いよどむところまできたら、もう大丈夫なんです。その人には言いたいこと、自力でつかんだものがあるんですから、あとは言い方を練習するだけです!


Q3.林先生が考える国際文化学部の魅力とは



一言で言うと懐が深いと思います。どんなことに興味があっても、何かしら得られるものがあるんじゃないでしょうか。
例えば、私の担当するゼミもそうですが、「音楽って何なんだろう」っていう素朴なところからも勉強を始められます。例えば伝統的な大学の枠組みだと、音楽って何なの、じゃあカントやヘーゲル(注:ドイツの哲学者です)の美学を学びましょう、といった順序になります。もちろん古典を通じて見えるのは現代の姿ですから、これは単に順番の違いなのですが、勉強を身近な話題からスタートできるゼミがあり、ゼミの種類が豊富なことは、大きな魅力だと思います。
またカリキュラムの作られ方にも幅があります。四つのコース選択ができると同時に、全てのコースから横断的に科目履修できることもそうですし、SA(学部の海外留学プログラム)先が7言語圏に広がっていて、英語圏の留学先の選択肢も幅広く用意されています


Q4.国際文化学部へ受験を考えている受験生へメッセージをお願いします


林先生からのメッセージはこちら(実際に音声が流れます)

最後に

いかがでしたでしょうか。林先生について、また国際文化学部のいいところをたくさん紹介できたのではないかなと思っています!
次回は我々広報委員が国際文化学部を紹介していきます!

2016年11月25日金曜日

2016.11.10 「《インティマシー》と《インテグリティー》――異文化理解のキーワード」開催レポート

11月10日(木)午後6時半よりボアソナードタワー3階マルチメディアスタジオにて、トマス・カスリス氏(オハイオ州立大学特別名誉教授)による講演会「《インティマシー》と《インテグリティー》――異文化理解のキーワード」が開催されました。平日で開始時間も遅く、通訳なしの英語講演であったにもかかわらず、学内外から幅広い年代の参加者を迎えることができました。


今回の講演会はカスリス教授の著書『インティマシーあるいはインテグリティー――哲学と文化的差異』の日本語訳が今夏法政大学出版局から出版されたことを受けて企画されました。異文化に接した際にわれわれが直面する問題を「インティマシー」と「インテグリティー」という2つの対立的な指向性からどうとらえ直せるのか、抽象的な議論に具体的な経験談を絡めつつ、熱のこもった講演となりました。


おりしも前日に結果の出た米大統領選の話題も織り込まれ、現代社会のアクチュアルな問題に哲学あるいは人文学がどのように切り結ぶかという実践の場ともなったかと思われます。

※なお今回のセミナーの開催にあたっては、法政大学出版局の協賛を得ました。

<参考>
◆学部Webサイト、トピックス欄掲載の開催案内:

◆法政大学出版局Webサイト:




2016年11月10日木曜日

教員インタビュー林志津江先生(前編:研究分野と大学時代について)

新任教員・林志津江先生にインタビューをしてみた!

こんにちは! この度、法政大学国際文化学部学生広報委員に 就任しました4年生の内山一文です。 今回は、今年新しく入ってきた 林志津江(はやししづえ)先生に インタビューをしてきました。 果たして、どんなお方なのでしょうか? 内山は、主に林先生の研究分野と 大学時代について伺ってきました。 早速、その報告をします。

林志津江先生のプロフィール

・大阪府生まれ、滋賀県で育つ
・立教大学文学部ドイツ文学科卒業
・立教大学大学院文学研究科博士課程前期課程修了
・同後期課程単位取得退学
・博士(文学)
・2016年4月法政大学国際文化学部に着任






専門

・ドイツ語圏文学(近現代抒情詩)
・文化理論(文化的記憶論、メディア論etc)
・表象文化論
・日独文化交流史


担当授業

・ドイツ語
・ドイツ語アプリケーション
・ドイツ語圏の文化Ⅰ
・映像と文学
・表象文化演習
(ポピュラー音楽の系譜)


著書

【著書】 『ドイツ文化55のキーワード』(ミネルヴァ書房、2015年) (分担共著)など



インタビュー内容

Q1.林先生の研究分野について教えてください


ひとつはドイツ語文学、主に抒情詩・現代詩に関するものです。特に詩を言語(詩)そのものを通じてだけではなく、その外側からも、すなわち他のメディアと対照的に比較し考えるという方法を模索してきました。

具体的には言語V.S.図像(絵画、写真)、言語V.S.音楽といったことですが、この方法そのものが今ではさらに大きくふくらんできて、もうひとつの柱である表象文化論、文化理論研究というかたちになっていると同時に、私が現在国際文化学部で担当している演習(ゼミ)や講義内容と直接つながっています。
詩は個々の語の意味や言葉の使われ方がクローズアップされる文芸ジャンルです。ですから、私が考えているのは、究極的にはコミュニケーションの問題です。私は、「言葉がそもそも、いかに伝わりにくいか」という感覚について考えるのが詩だと思っています。


Q2.今振り返ってみると、学部専攻での学びは大学生活全体の中でどのような意味を持っていたように思われますか


もともと音楽が大好きで、特に洋楽を歌詞カード片手に聴いているような毎日でした。そして、大学3年次に履修した「詩の解釈理論」についての授業で、「詩の言葉の意味を考える」という作業を繰り返すうちに、「解釈」とは、言葉と対象に責任を負う行為であり、単純な好き嫌いの話ではなく、論理的に相手を納得させることなのだと知りました。そしてこのことが音楽について、特に音楽批評に対して感じていた疑問と結びつきました。大学院に進学したのは、自分にとってとても大切だった音楽と、学部専攻での勉強が強く結びついていることに気づいたからです。


Q3.林先生にとって留学とは?



大学院の博士前期課程の時、ドイツ西南部にあるテュービンゲン大学に留学しました。自分を「日本人」ではなく「アジアの人」なのだと感じたのはこの時が初めてでした。それは「日本人である私」をドイツ人の視点で見てみたということなのですが、それと同時に、「日本語が母語の私がなぜわざわざドイツ語圏の文学を研究するのか、それに何の意味があるのか」という疑問にぶつかりました。そんな中で大きな支えになってくれたのは、授業で出会ったドイツ語話者の友人たちです。彼らはドイツ人だったり移民の背景を持っていたりと十人十色ですが、中でも、外国文学や外国語(彼らにとっての)を学ぶ友人の存在が励みになりました。


彼らとのやりとりを通じて学んだことは本当に大きく、もしあの時留学していなければ、今こうして日本語話者のドイツ語圏文学研究者として私が教壇に立っているということは決してなかったと思います。













↑留学中の写真(Stuttgartにて撮影)

Q4.外国語学習において大事なことを教えてください!


日本語に「訳して」外国語を理解するのではなく、 言葉の機能を考えましょう。つまり文法です! 英語やドイツ語などといった言語には、 それぞれの文化、モノの考え方が反映されています。 例えば、英語では"This is a pen." 、ドイツ語なら"Das ist ein Stift"ですが、どちらの言語も名詞を冠詞とのセットで考えています。私たちは日本語でa=「ひとつの」、pen=「ペン」とすぐに置き換えてしまいがちですが、そこでちょっと立ち止まってみて下さい。

実は"a pen"の不定冠詞とは「世界の中にあるペンのうちどれを指すのか?とりあえず、どれでもいいから『ひとつペンだ』」ということを考えているのであって、元々"a"には「ひとつの」という意味があるという理解だけだと、少し違います。

日本語には、「世界」と「モノ」との関係を文中で示すという発想、すなわち冠詞という機能がないですよね。そして日本語にも英語やドイツ語にはない品詞・発想があります。助詞などがそうですね。この差異を意識できているかいないかは、大きな違いです。そしてこのように、言語を構造で考える練習をすることで、作文の能力は格段に上達します。

「言語のメカニズムを知っている」ことは「しゃべれる人」の条件でもあります。ですからまずは、外国語の文法用語に少し目を向けてみて下さい。



Q5.大学で学ぶ意味を教えてください!


なんといっても、「失敗できる自由がある」 ということでしょう。 社会人になると、労働の対価として賃金が支払われる。つまり、「お給料をもらっている中での失敗」は、社会にとって大きな損失になるかもしれません。でも大学生が大学の中でしでかす失敗は、せいぜい自分にしか影響がないのではないでしょうか。

ですから大学生のうちは、むしろ積極的に何にでもチャレンジして、自分の限界を知ろうというくらいの気持ちでいてほしいです。



Q6.林先生が人生で大切だと思う 3つのことについて教えてください


【その1:焦らない】
誰だって他人の評価は気になるものですよね。でも、辛抱すること、ちょっと堪えることも大事です。今はすぐに結果がでなくても、自分を信じて邁進することで見えてくることがあります。そして、受験生のみなさんも、本番に実力を発揮できればいいのですから、苦しいことは次の瞬間には楽しい想い出です。辛いときは少しリラックスしましょう!

【その2:自分には見えていないものが あるかもしれない事を意識する】
今、自分が相手をしている人が本当に自分の想像通りの人とは限らないですよね。例えば、私は教員で、日々学生さんと接していますが、学生さんにも知れば知るほど様々な面があります。でも、それはきっと私の知っている「その人」のすべてではないですよね。私はいつも大学の中でも、そういうことを忘れないでいたいなと思っています。難しいですけどね!

【その3:天も地も人も恨まない】
これは、田中角栄の言葉なのですが(笑)、私がここで教鞭をとるのも、あなたが法政大学国際文化学部に入学するのも、すべては自分の選択によるものです。ですがそもそも、私を、あなたをここへ導いてくれたのは「天と地と人」です。
法政大学での日々を自分にとってすばらしいものにできるかどうか、それはあなたが、私が「自分で選んだんだ」ということを意識できるかどうかで全く違ってくるのではないでしょうか。人のせいにしてしまう人生は、つまらないです!


最後に


いかがでしたでしょうか? 林先生のインタビューから、 単純に林先生について分かっただけではなく、 大学で学ぶ意味や勉強の面白さ、 留学で得られるモノがにじみ出ているような気がします。 次回は、同じく学生広報委員のHさんが、 林先生の受け持つ授業について をインタビューから紐解いて いきます。 こうご期待!

(作成:内山一文)

2016年11月8日火曜日

2016.10.30 「『はちみつ色のユン』-映画上映と学際トーク」開催レポート

映画『はちみつ色のユン』(2012年制作公開)は、幼い頃、韓国から国際養子としてベルギーに送られたJung Henin氏が成長後、自らの生い立ちを描いたマンガをもとに、当時の動画や写真、そして韓国訪問時の映像を加えてつくられた作品です。自分が何者なのかを問う長い旅の末、産みの親と育ての親の双方へ感謝を表わし、またヨーロッパ人でもあるしアジア人でもあるという、複合的なアイデンティティを素直に受け入れる境地へと至ります。

10月30日(日)、原作者で監督のJung氏が来日したのを機に、映画の上映と、Jung氏自身を含めた関係者による学際トークセッションを、国際文化学部オープンセミナーとして開催いたしました。イベントは、立ち見が出るほどの大盛況のなか、無事終了しました。


これもひとえに、この映画の素晴らしさ、すなわち韓国で親から見捨てられ、養子としてベルギーで成長したJung氏の個人的な物語でありながら、同時にそれを越える普遍性を獲得しているがゆえでしょう。作品を観ながら、きっと多くの参加者が自らに引きつけつつ、人間にとって家族とは、国や民族とは、アイデンティティとは、愛とは?と、思いを致したものと思われます。


映画上映後のトークでも、漫画(バンドデシネ)やアニメ表現の可能性、朝鮮民族の離散、韓国の国際養子の歴史など、多くの文脈からこの映画の背景が解説され、魅力が語られました。盛りだくさん過ぎて、会場の参加者との質疑応答に十分な時間が割けなかったのは残念でしたが、学部内の複数の教員と、この映画に惹かれる学外の皆さんとの協力で、このような刺激的な会がもてたことは収穫でした。日曜日にもかかわらず、学生の姿もかなり見られました。

学部の特長を活かして、今後とも学問分野を横断する、知的刺激に満ちた多文化のイベントを数多く開催していければと思います。

参考(学部Webサイト、トピックス欄掲載の開催案内):