(C) 2016 Gaumont / Mandarin
Cinema / Korokoro / M6 Films
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映画『ショコラ ~君がいて、僕がいる~』(ロシュディ・ゼム監督)は難解な映画ではない。高校生以上の観客なら、とくに予備知識がなくても楽しめる映画だ。かつて実在した黒人・白人の芸人コンビを再現してみせた、ショコラ役のオマール・シー、フティット役のジェームス・ティエレの体を張った熱演が光る。また、芸人ならではの人気争いや、自身の才能をめぐる悩みの描写もわかりやすい。そしてもちろん、黒人であるショコラ(本名ラファエルの芸名である)の場合、どうやって自分の才能を認めさせるかという奮闘は、人種差別の問題と切り離せない。2016 年にフランスで公開され、ヒット作となったのも、衣装を含めた約100年前のパリの描写が見事というだけでなく、現代の移民社会における観客の思いにこたえる部分がこの映画にはあるからだろう。
しかし、このわかりやすさには、気を付けておかなくてはならないところもある。例えば、この映画では当り前のように「白い道化師」(仏 clown blanc /英 Whiteface Clown )や「オーギュスト」(英語ならAuguste Clown)、「軽業師」といった単語が出てくるが、こういったさまざまな種類の道化師たちが織りなす笑いについて、日本に住む私たちはあまりなじみがない。威張り散らす白い道化師(フティット)とボケ役にあたるオーギュスト(ショコラ)、そして両者の関係性の変化という、筋書きの上で一番肝心なところについての感じ方は、この道化師がもたらす笑いをどう理解するかで変わってくるだろう。また映画のタイトルにもなっている、ショコラ(Chocolat)という芸名。キューバ出身の黒人だから「チョコレート色」=ショコラなわけで、21世紀の現代ではちょっと考えられない差別的な芸名だが、その一方で、「ショコラであること(être
chocolat)」という表現には「だまされること」という意味があり、「ショコラすること(faire le
chocolat)」という表現には「だまされやすいふりをすること」という意味がある。パフォーマンスが一区切りつくたびに、ラファエルが客に叫ぶ「私はショコラ!(je
suis Chocolat !)」という決めぜりふは、「だまされちゃった!」ぐらいの意味なのだろうが、同時にみずからの芸名の名乗りでもあり、だまされるという演技でもある。
この映画のもとになった伝記『ショコラ 歴史から消し去られたある黒人芸人の数奇な生涯』(G・ノワリエル著、舘葉月訳、集英社インターナショナル)を読むなら、映画でも描かれる白人のフランス人女性であるマリーと、黒人芸人のラファエル(ショコラ)の愛が史実ではどこに行きついたのかを含め、この映画をより深く味わうことができるだろう。
日時
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2017年1月18日(水)開場15:00 開演15:30
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場所
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法政大学 市ヶ谷キャンパス ボアソナードタワー3階0300教室
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主催
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法政大学国際文化学部
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配給
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東北新社 STAR
CHANNEL MOVIES
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協力
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集英社インターナショナル、法政大学出版局
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トーク
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舘葉月(日本学術振興会海外特別研究員・ジュネーヴ大学)、粟飯原文子(法政大学国際文化学部教員)、大中一彌(同)
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関連
リンク
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同じ著者による移民史の研究書『フランスという坩堝 一九世紀から二〇世紀の移民史』(ジェラール・ノワリエル著、大中一彌・川﨑亜紀子・太田悠介訳) http://www.h-up.com/books/isbn978-4-588-01032-3.html
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